失われゆく風景を守るため建築から漁師の道へ
大学では建築を学びながら、国内外の漁村や水辺のまちを見て回りました。そのなかで私が惹かれたのは、水とともに人々が暮らし、文化や営みが受け継がれている風景です。滋賀で生まれ育ち、小さい頃から川や田んぼで遊んでいた私にとって、懐かしい原風景だったのかもしれません。特に転機となったのは、フィールドワークで訪れた沖島でした。沖島は昔ながらの漁村の風景が残る土地ですが、漁師さんたちの生計は厳しく、後継者もほとんどいない状態です。あと10年もすれば、琵琶湖の漁とともにある暮らしや食文化、美しい風景もなくなってしまうのではないか…という危機感を覚えました。
▲琵琶湖の伝統漁法 蓮菜のエリ もちろん最初は建築の道へ進むことも考えていました。でも建築家として〝暮らし〞を提案するのなら、まず自分自身が納得できる暮らしを実践したいと思ったんです。そこで、琵琶湖のそばで暮らしながらその魅力や風景を伝えていける仕事をしたいと、漁師になることを決めました。ただ卒業後すぐには受け入れ先がなく、どの漁師さんからも「やめておいた方がいい」と言われました。息子にも継がせたくないほど厳しい仕事だから、何も知らない若者に勧められないと。半年後にようやく船や漁具を引き継げる親方と出会い、国の研修制度を利用して3年間、漁師の仕事を学ばせてもらいました。
理想と現実のあいだで漁業の未来を模索し続ける

▲「BIWA-CAN」はO'PAL
(大津市 雄琴)でも購入できます
そして2020年に琵琶湖の漁師として独立。「フィッシャーアーキテクト」という屋号を掲げました。これには、湖魚を獲る漁師であり、琵琶湖とともに生きる暮らし全体を設計する存在でありたいという思いを込めています。
現在は蓬莱と木戸のエリ漁を中心に漁業を営みながら、漁業体験や湖魚の加工品「BIWA-CAN」の製造・販売にも取り組んでいます。今の季節は早朝5時にエリ漁へ出かけ、ついでにウナギの仕掛けを上げたり、沖に出てビワマスの刺し網漁をしたり。初夏から夏にかけては、アユ、ワカサギ、イサザ、コイなどさまざまな湖魚が水揚げされます。捕れた魚は基本的に志賀町漁業共同組合から魚屋や市場などへ出荷しますが、流通しにくい魚については個人のお客様にも届けています。
独立当初に描いていたのは、漁といろんな仕事を組み合わせた働き方。さらに漁業体験や漁村での宿泊、漁師を目指す人の住まいや仕事のサポートまでしたいと考えていました。でも6年経ち、実際にはそこまでできていないのが現実です。近年は猛暑の影響で不漁が続き、漁師の高齢化や後継者不足も深刻。漁船や網を扱う業者も少なくなり、漁業を支える基盤そのものが弱くなっていると感じます。
それでも私の思いは変わりません。なんとか漁師を増やし、琵琶湖とともに生きる風景を残したい。漁と観光や教育などを組み合わせながら、琵琶湖に関わる人を増やしていくことも必要だと考えています。
アート展や日記の出版を〝自分ゴト化〞するきっかけに
そこで現在行っている活動のひとつが、琵琶湖をテーマにしたアート展です。今年5月から10月末まで開催しているこの展示には、18組のアーティストや研究室が参加。実際に琵琶湖に滞在し、漁や湖辺の暮らしを体験したうえで作品を制作していただきました。また7月1日の「びわ湖の日」には、『100年後に読む琵琶湖日記』が出版されました。琵琶湖各地の漁師や料理人、魚屋、漁業体験に参加した小学生や主婦、学芸員、ユーチューバーなど、さまざまな立場の方が琵琶湖の今ある豊かさを日記に綴っています。

こうした取組みを通して伝えたいのは、琵琶湖を自分ゴトとして捉えてほしいということ。湖魚を食べるでも、湖で遊ぶでもいい。まずは琵琶湖と関わり、自分なら何ができるのかを考えるきっかけにしてもらえたらと思います。
私はアヤハさんの『みんなに居場所がある街をつくる』という長期ビジョンに、深く共感しています。ただ、その居場所のなかに琵琶湖はどれだけ含まれているでしょうか。滋賀の暮らしは、水を通じてすべて琵琶湖とつながっています。400万年の歴史を持つ古代湖とともにある街を未来へ残していくために、私たちは何ができるのか。アート展や日記も見ていただき、一緒に考えてもらえたら嬉しいですね。


▲O'PALで開催中のアート展
(2026年5月取材)