時代とともに進化することで滋賀県唯一の造船所に

▲初代「うみのこ」
杢兵衛造船所は1872年(明治5年)の創業以来、150年以上にわたって船の製造を続けてきました。琵琶湖は江戸時代から戦前くらいまで、福井と京阪神を結ぶ水上交通路として栄え、木造船の「丸子船」が往来していました。なかでも当社のある大津市堅田には30件ほどの造船所が集まり、造船の拠点となっていたそうです。しかし時代は流れ、現在、琵琶湖で造船を手がけるのは私たちだけになりました。
なぜ私たちが今も残っているのか。それは時代のニーズに合わせて進化してきたからかもしれません。木造の田舟(湿田で使われる小型の舟)から、漁船として使われる帆掛け舟(帆を張って風力で進む舟)や、焼玉船(エンジンを搭載した船)。さらに観光船のディーゼル船や高速艇へと、造船技術も用途も変わっています。琵琶湖の遊覧船「ミシガン」や「ビアンカ」、皆さんが小学生の頃に乗られた「うみのこ」も、私たちが日立造船など他社と合作したものです。今では琵琶湖の水質調査船や警備艇などの需要が増え、官公庁や教育機関との取引もあります。また造船以外にもFRP加工技術を利用した保冷・冷凍車の架装、ヨットハーバー・バスボートクラブの運営、自社で保有する観光船(一番丸)の運航なども行っています。
環境保全の取り組みの原点は琵琶湖が友達だった子ども時代

▲大型船の建造や修理ができる1500トンドック

▲環境負荷の低減を目指した観光船「megumi」
私は杢兵衛造船所の5代目として、小さな頃から後を継ぐのは宿命だと思っていました。造船所は格好の遊び場で、職人さんに木の舟を造ってもらって一人で乗ることもありました。今では考えられない大冒険ですよね。また琵琶湖大橋がなかった頃は、堅田から守山まで舟の板を浮き袋代わりにして泳ぎました。そして帰ってきたら浜でシジミを捕るんです。夜になると舟にランプをつけて、フナを釣りに行きました。琵琶湖は遊び場であり、生活にも密着していたのです。
ただ大学卒業後は勉強も兼ねて東京で2年間の会社勤めをし、25歳から船大工として造船所の現場に入りました。その後、1998年(平成10年)に社長に就任して現在に至ります。社長になった時に真っ先に考えたのは、琵琶湖の環境を守ること。私は琵琶湖で育っていますから、琵琶湖を愛しています。だからできるだけ琵琶湖を、自分が子どもだった頃と同じくらい美しくよみがえらせたい。そんな想いで2008年(平成20年)には、環境負荷の低減を目指した観光船「megumi(めぐみ)」を開発しました。材質はアルミニウムと他船の船体を再利用し、バイオ燃料添加型ディーゼル対応機関や、太陽光発電システム、風力発電システムも導入。これはCO2排出量の削減につながる画期的な船ということで、日本船舶海洋工学会より「シップ・オブ・ザ・イヤー2008」を受賞しました。
さらに2023年(令和5年)には太陽光で充電できる電池推進遊覧船「Grebe(グリーブ)」を造り、福井県美浜市の三方五胡で運航されています。現在は水素エンジンの船も開発中です。
琵琶湖周辺の魅力を発掘し地域のにぎわいも創っていく
私は琵琶湖のそばで生まれ育って70余年、ずっと琵琶湖を見つめてきました。昔は透き通るほどきれいだった水も、今はずいぶん汚れてしまっています。問題のひとつは藻です。自然乾燥して燃やしたり、肥料にできないか化学メーカーと取り組んだりしましたが、なかなか解決するのは難しいですね。もうひとつの問題は湖底にたまっているヘドロ。昔はたくさん捕れたシジミも、今はヘドロに埋まってしまって育たないんです。
こうした琵琶湖の環境にもっと関心を持ってもらうためには、地元の方や観光客の方々に琵琶湖と接する機会をつくることが必要だと思いました。そこで近年は湖岸のイベントやフェスティバルの開催、おごと温泉港を発着するクルーズも新たに就航。今年4月には、「LAGOクルーズ」や「琵琶湖博物館クルーズ」もスタートしました。滋賀の観光スポットへ遊びに行く際に車ではなく、船を使っていただく。身近な存在として船を楽しんでもらえれば、琵琶湖の環境に関心を持つきっかけにもつながると考えています。
今後は空飛ぶ船の開発、廃れてしまった漁港の新たなまち開発、琵琶湖で遊ぶ人たち用のレストランやトイレを備えた船の運航、近江八景クルーズの立ち上げなど、まだまだ夢は広がります。綾羽の社員の皆さんともぜひ一緒に、琵琶湖の環境を守り次世代へ継いでいく取組みを進めていけたら嬉しいですね。
(2025年5月取材)