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下笠参弥礼踊り保存会 会長 山元 𠮷夫さんを訪ねてNEW

下笠参弥礼踊り保存会 会長 山元 𠮷夫さんを訪ねて
草津市に伝わる民俗芸能「参弥礼(サンヤレ)踊り」は室町時代から始まったといわれ、今も草津市内の7つの地域で行われています。今回はその1つである下笠の参弥礼踊り保存会で会長を務める山元さんと、副会長の長谷川さんに参弥礼踊りの歴史やこれからの願いについて伺いました。

古くから地域で大切にされてきた民俗芸能

▲副会長の長谷川勇さん
 「参弥礼踊り」は草津市内の7つの地域(矢倉・下笠・片岡・長束・志那・吉田・志那中)に伝わる民俗芸能です。起源については明らかになっていませんが、室町時代に流行った「風流囃子物」と呼ばれる芸能の流れを引くといわれています。踊りに込められる願いは地域によって多少異なり、下笠では五穀豊穣、疫病退散、雨乞いなどのために踊られてきました。百姓はとにかく水が頼りですし、昔は100年周期くらいで大きな疫病と闘っていましたから。また「サンヤレ」という言葉の語源についても諸説あり、一説には「幸あれ」という言葉が転じて「サンヤレ」に変化したといわれています。表記は漢字で「参弥礼」と書くほか、カタカナやひらがなで表す場合もありますね。

 この踊りの特色は、鮮やかな衣装やはっぴを身につけた踊り手の周りを、うちわや鳴り物を持った人々が取り囲み、「サンヤレ、サンヤレ」と囃し立てながら踊るところです。なかでも下笠の衣装は他の地域と比べて色鮮やかで、人目を惹く華やかさがあります。その昔、下笠には城があり、城下町のプライドが衣装をどんどん派手にさせたともいわれますね。また下笠のなかでも南部と北部エリアがそれぞれ競い合うように、衣装や踊りにどんどん趣向がこらされるようになったのでしょう。

保存会を立ち上げてからユネスコ登録までの軌跡


▲色鮮やかな花笠と衣装を身につけた子どもたち
 室町時代に発祥したといわれる「参弥礼踊り」は、現在までずっと続いてきたわけではありません。太平洋戦争(1941-1945年)あたりから20年近く途絶えていた時代があります。しかし昭和初期生まれの方たちが「踊りを復活させなあかん」と1972年頃から立ち上がり、当時小学3年か4年生だった私たちに踊りを教えてくれました。その時代に教えてくれた指導員さんたちは厳しかったですね。下笠の南部・北部それぞれの指導員さんが自分たちの踊りを残そうと躍起になっていたのも覚えています。結果的には南部エリアの踊りが残り、1980年頃に保存会が発足しました。

 さらに1986年には草津市、1987年には滋賀県、1993年には国の選択無形民俗文化財に認定され、2018年には日本遺産「琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産」の構成要素のひとつとして追加認定されました。また2020年には国の重要無形民俗文化財に、2022年にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。これらは国内外の民俗文化財のなかでも歴史性と地域性が高く評価されたものだと思っています。市の認定から始まり、県、国、世界にまで「参弥礼踊り」が認められたことは非常に嬉しいことです。
 

4年ぶりの奉納に胸が熱くなる光景も

 5月3日に行われた例大祭の日には、京都や大阪から観光ツアーで多くの人が見学に来てくださいました。これだけ関心を持っていただけるのは感慨深いものです。また10月の草木祭でも晴天に恵まれ、老杉神社に「参弥礼踊り」を奉納させていただくことができました。コロナ禍によって4年間中止していたこともあり、今回は無事に奉納できた喜びもひとしおです。

 しかし一方で、少子高齢化の波を年々感じずにはいられません。踊りには子ども・大人を含めて役者と囃子が20人ほど必要で、毎年メンバーを変えていきます。役者をするとなったら2月末から5月3日まで、3月は週2日、4月は週3日、1時間半みっちり練習もあるためか、最近は引き受けてくれる子どもさんが減ってきたのが悩みです。以前は男性のみでしたが、今は時代の流れにのって女性の方にも参加いただくようになりました。

 また数年前から「参弥礼踊り」の魅力を次世代へ伝えていくため、小学校の地域学習として講演にも訪れています。こうした地道な活動のなかで興味を持ってくれる子どもさんが増え、末永く後世へ伝承していくことが私たちの使命です。毎年「参弥礼踊り」を奉納しているのは草津市のなかでも下笠だけですから、皆さんもぜひ見学に来てみてください。興味を持っていただくこと、広報してくださることも保存の力となります。

  
(2024年10月取材)

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