紙とハサミがあれば常に切り絵を作っていた子ども時代

▲窓の外には緑が広がるアトリエ
僕が切り絵と出会ったのは3歳の頃。母と一緒に遊びながら、簡単なゾウやウサギの切り絵を作ったのが最初です。それからずっと切り絵に親しみ、趣味というより手癖のようにいつも紙を切っていました。小学生の頃は、勉強が全然できなかったんです。だから授業中も机の下でちょこちょこ切り絵をしていました。
高校卒業後は生まれ育った石川県金沢市を出て、大阪のファッション専門学校へ。その後、カメラマンになり、子どものモデルを撮影する時にアニメのキャラクターやカブトムシの切り絵を披露すると、すごくいい表情を見せてくれて。「あ、こんなに喜んでくれるんだ」って、自分の特技の一つとして認識するようになりました。
それと同時に、カメラマン時代から動物や自然が好きで、北海道や小笠原諸島の無人島に1ヶ月ほど出かけては撮影するのをライフワークにしていました。そんなある時、たまたま仕事で奥伊吹に来る機会があって、すごく素敵な場所だと感じたんです。北海道や小笠原諸島に行けば大自然はあるけど、あくまで旅行者目線でしか捉えることができない。奥伊吹に暮らすおばあちゃんの話を聞いていると、自分もこんな自然のなかに根を下ろし、内側から見えるものを表現したいと思いました。
奥伊吹の里おこしイベントが切り絵作家としての出発点に

▲15分ぐらいで熊の切り絵を作っていただきました。
米原への移住を考え出したのは20代後半。仕事先の方に冗談半分で「こんなところに住みたいんです」って言ったら、「ちょうど来年から地域おこし協力隊の制度が始まるからエントリーしたら」という言葉で、急に移住が現実味を帯びました。でも、米原でカメラマンとして活躍するのは難しいだろうし、まさか切り絵で食べられるようになるとは夢にも思っていなかったんです。だから当初は2年の地域おこし協力隊の任期中に撮りたい写真を撮ったら、大阪に戻るつもりでした。
ところが地域おこし協力隊になって1年目の2011年。協力隊の同期が『伊吹の天窓』という里おこしイベントを開催することになり、僕の作った切り絵をポスターやチラシ、会場の装飾に使いたいという話になったんです。それまでは「その場で切って誰かにあげておしまい」だった切り絵を、初めて「作品」として発表する舞台でした。
このイベントが好評だったこともあり、地域の喫茶店の企画展に呼んでいただいたり、グッズを作って販売したり、取材を受けたりしているうちにだんだん切り絵の仕事で忙しくなりました。地域おこし協力隊の任期が終わった頃には滋賀の企業さんから年間契約のポスターの仕事をいただき、1年間は「切り絵作家」でいられることになった。それが幸いなことに今もずっと続いている感じですね。
ここに暮らすことが自然と切り絵の表現につながっていく
僕はもともと動物や自然をモチーフに写真を撮ってきて、今はそれが切り絵になっただけで、表現したいテーマは変わっていません。動物を表現するにはニュアンスが大事なので、自然豊かな米原に暮らしていることは大きな意味があります。奥伊吹の集落に住んでいた時はクマが出たり、シカの出産を見たりできましたから。伊吹のふもとに移った今も、キツネやイタチには日常的に出会います。そうすると動物のどんくさい姿を見て、「動物も人間も変わらないよね」って。暮らすなかで動物や自然に触れ、引き出しにたくさんアイデアの種がたまっていきます。
そして米原は田舎なのに、新幹線に乗ればすぐ京都や大阪、東京にも出られて、名古屋、福井、岐阜も近い。今は都市部で仕事をする機会も多いですが、東京で発表するときは「滋賀にいること」が個性になるし、滋賀に帰ってきた時は「東京で発表した」ことを価値に感じてもらえる。ここは、インプットとアウトプットの両方をすごくしやすい場所だと思います。
今後も切り絵というツールを使いながら、見てくださったお客様が少しでもクスッとしたり、いいものを見たなと感じてもらえるような作品を創っていきたいですね。クライアントのご機嫌をうかがうのではなく、その先にいる本当のお客様に喜んでもらいたい。今までは大きな自然がテーマでしたが、蜂が花粉を集めに来るような、里山の小さな自然も表現していけたら。「虫と人間って変わらないな」と思えるようになったら、いい作品ができると思います。

▲お茶をいただいたグラスにも切り絵が

▲企業さんからの依頼で制作された作品
(2022年8月取材)