神社仏閣や御神輿などを華やかに彩る金色の錺金具。そこに絵や文様を打ち描くのが彫金師と呼ばれる職人です。小林浩之さんは、今では全国でも希少となった手仕事で彫金を施す「小林彫金工芸」の四代目。三代目の父の背中を追いかけ、ものづくりに真摯に向き合い続ける日々の誇りについて伺ってきました。
株式会社小林彫金工芸
〒520-0861 滋賀県大津市石山寺二丁目7-35 TEL:077-535-1193
イタリア留学で気づいた父の仕事の誇らしさ
物心ついた頃から、家では父がたがねを叩く音が響いていました。たくさん並ぶ道具に興味津々で、工房に入って遊ぼうとすると父に叱られたものです。でも当時は家業を継ぐ気持ちは全くありませんでした。むしろ友達が毎週末遊びに出かけているのを羨ましく感じ、サラリーマンの家庭に憧れていました。
学生時代はずっとサッカーに明け暮れ、大学ではイタリア語学科を選択。3回生のときにイタリアへ半年間留学し、外の世界を見たことで、改めて日本の良さ、伝統の大切さに気づきました。ちょうど就職も考える時期だったので、それなら父の跡を継いで彫金師になろう、自分も伝統を守る側に立ちたいと覚悟を持って飛び込んだんです。
大学を卒業して正式に弟子入りし、最初のうちは朝から晩まで金板をたがねで叩き、魚々子(ななこ)と呼ばれる細粒の円形を描く日々。一定の動きで指を少しずつずらし、金槌を落とす感覚を体に染みこませていきます。なかには顕微鏡で見るほど小さな円形もありますが、1つずつ見て動かしていたら動作が遅れるので、頭の中は〝無〞です。「金槌は打ちつけたらあかん。重みで落とすだけ。」という父の教えを体現できるようになったのはずいぶん経ってからでした。自分が想像していたよりもずっと彫金の世界は奥が深かったのです。
高い技術を有する彫金師は全国的にも希少な存在に
▲規則正しく描かれた細粒の円形の魚々子 魚々子を打つ作業を見た人からは「大変ですね」とよく言われますが、私は自分の仕事が特別大変なものだとは思っていません。世の中に大変じゃない仕事はないと思いますから。それに、ものができていく過程はやっぱり楽しい。彫金の仕事は、たがねで打ってすぐに結果が出ます。同じ圧で美しく並べられたときは嬉しいですし、少しでもずれてしまったときは悔しさや悲しい気分をしばらく引きずってしまいます。
▲浩之さんの作品 そんなふうに毎日一喜一憂しながら続けてきて、今年で16年目が経ちました。これまで父と一緒に手がけた仕事としては、岡山県津山城の城門修復、伊勢神宮や春日大社などの錺金具、平等院の関白忌で使われる柄香炉など。一昨年は、カシオGSHOCKの限定モデル〝衝撃丸〞に彫金させていただきました。いずれも職人の手仕事による最高級の技術が求められる仕事がほとんどです。
そもそも彫金師は、仏壇が流行った明治〜昭和の時代にかけて増え、平成に入って仏壇の衰退とともに激減。今ではプレス加工や電気鋳造で量産される錺金具が多く、手仕事の本物の技術を有するのは京都・滋賀で10人にも満たないのが現状です。
しかも滋賀を含む京都圏では仏壇の需要も高かったため、錺金具師と彫金師が分業化されていますが、全国的には錺金具師が彫金師も兼ねています。彫金専門の職人はこのエリアだけの希少な存在ともいえるわけです。
伝統技術を受け継いでいくため手仕事の価値を知ってほしい
これからの目標は、後世に残る作品を一つひとつ丁寧につくっていくこと。例えば以前、古墳から金物が出土され、そのレプリカをつくる仕事がありました。古墳時代から現代に残るものがあるのは凄いと感動し、自分もこの伝統技術を守り続けたいという決意が強くなりました。そこで現在は彫金だけでなく、錺金具師の技術も勉強しているところです。父は日本画、
水墨画、油絵など絵画を一通り学び、錺金具の図柄考案までしていますが、私はまだまだ未熟。図柄の花びらのちょっとした表情、葉の自然な流れを表現できるよう研鑽を続けていきたいと考えています。
ただ、このような伝統技術を受け継いでいくには、私たちの努力だけでは難しい面もあります。いかに多くの方に、機械と手仕事の違いを理解していただくか。職人の価値を認めていただけるか。皆さんももし機会がありましたら、大津祭の曳山を彩る錺金具に注目してみてください。大津市の長等商店街にある「大津祭曳山展示館」では、鳳凰をかたどった隅金物、麒麟の幕押え金物など、時代を超えて受け継がれる伝統の美と技を見ることができます。そして少しでも価値を知っていただく人が増えたら嬉しいと思います。
▲約3,000~4,000あるという鏨(たがね) ▲作業場で金板と向き合う三代目正雄さんと四代目浩之さん
(2021年10月取材)