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琵琶湖発 人間探訪

男子ホッケー日本代表〝サムライジャパン〟コーチ 山堀 貴彦さんを訪ねて

男子ホッケー日本代表〝サムライジャパン〟コーチ 山堀 貴彦さんを訪ねて
山堀 貴彦さん
熱戦の舞台は人工芝のフィールド。
ホッケーはスティックで硬球を巧みにさばき、得点を競いあうスポーツです。
その日本代表選手として長く活躍し、現在は指導者となって男子ホッケー日本代表〝サムライジャパン〟を強化中の山堀貴彦さん。
ホッケーの面白さ、東京オリンピックへの意気込み、将来の展望について伺いました。

日本ホッケー協会

住所:東京都新宿区霞ヶ丘町4-2
Japan Sport Olympic Square
https://www.hockey.or.jp

ホッケーの町に生まれて より高みを目指そうと決意

 ホッケーの醍醐味はスピード感です。対戦相手からボールを奪って相手ゴールに迫るまでが、とにかく速い。攻撃から守備、守備から攻撃へとめまぐるしく切り替わる試合展開も見どころだと思います。

 そのホッケーを、僕は小学4年から始めました。ホッケーが盛んな伊吹町(現・米原市)出身で、ごく自然にスポーツ少年団に入り、友だちと一緒に練習したり競い合ったりしていたんですね。ところが5年のとき、トレーニング中にひどい熱射病にかかり生死を彷徨い、3カ月ほど入院することになりました。その間に太ってしまったことに加え、特別にセンスがあった訳でもなかったので、ホッケーを再開した中学生になってもずっと補欠で、試合には出られませんでした。

 それでもホッケーが好きで、高校もホッケー部に入りました。部には指導者がおられず、趣味のような感じでした。楽しかったけれど物足りなくなり、もっと上を目指したいと高校3年の秋、天理大学のスポーツ推薦につながる練習会に参加したんです。トップレベルの人たちが集まる中、可能性を認めてくれたのか、受かることができました。

  大学に入り、まず監督に言われたのが「君の顔は優しすぎるからダメだ」。それからは眉間に皺を寄せ、怖い表情をつくるようにしました。すると不思議と、絶対負けたくないという感情が湧いてきました。

何度挑んでも叶わなかったオリンピック出場

 入部まもなく、ディフェンダーとして先発メンバーに選ばれました。下手な僕でも何かできないかと考え、対戦相手のエースに攻撃させなければチーム力で勝てると徹底的にマークしました。がむしゃらでしたね。試合を重ねるうち攻撃にも加わり、得点を取るようになって、自分自身の大きな変化を実感しました。

 二つめの転機は翌年訪れました。オーストラリア人コーチから指導を受け、スペースの作り方、攻撃の組み立て、状況判断……スキルや体力だけではないホッケーの奥深さを知って、こんなに面白かったのかと驚いたんです。より高度なチームプレーをと仲間と語り合い、ますます夢中になりました。

 日本代表には大学4年で初めて選出され、名古屋の強豪実業団に所属していた26歳のとき、シドニー五輪出場をかけて闘いました。それまで男子ホッケーは国際大会に出たことがなく、最終予選がぶっつけ本番だったんです。史上最強のチームと言われたのに、プレッシャーもあって自分たちの力を出し切れず、僅差で出場権を逃しました。あのときの悔しさは今でも忘れられません。


日本代表チームの強化合宿での指導の様子
 4年後のアテネ、8年後の北京も挑戦しましたが、五輪出場は叶いませんでした。現役を辞めて指導者にと考え始めたところに彦根市の聖泉大学から誘いがあり、2009年に同大学の男子ホッケー部監督になりました。

 その次の年、思いがけずホッケー協会から代表復帰を要請されました。年齢も年齢だし、自分のチームもある。悩みましたが、やっぱりオリンピックに出たいと思いが高まって、周りの皆さんの協力を得、代表選手に復帰しました。日本代表の監督はオランダ人のアイクマン氏で、経験豊富な彼のコーチングを吸収し、今後の指導に活かしたい気持ちもありました。
 

ようやく夢見た大舞台へ勇姿で魅せて日本ホッケーの未来を拓け

ゴール音は興奮するほど迫力があります。

 代表選手を36歳で引退した後は、指導者業に専念しています。自分がプレーするなら感覚でいいけれど、選手たちにはその感覚を言葉にして説明しないといけない。相手がどう理解し、活かしてくれるか、指導は試行錯誤です。選手によって性格や距離感が違いますし、個々に合わせた対応を心がけています。

 僕自身は怠け者なので効率の悪いトレーニングは嫌なんですよ。指導のポリシーは「効率よく効果よく」で、選手が必ず何か養えるように、こんな工夫をしたらより効果的じゃないか、などと常に考えています。
 

 現在は男子ホッケー日本代表のコーチを務めています。2018年のアジア大会で初優勝、自力で東京オリンピック出場権をつかみ取ったチームで、監督以下全員で金メダル獲得を目指し励んでいるところです。個人としては、しがスポーツ大使(滋賀県のスポーツ界を盛り上げる活動を行う)の任もありますが、遠征などでなかなか活動できないので、〝サムライジャパン〞の勇姿を通して元気だったり夢だったりを伝えられたら、皆さんの力になれたらと思います。

 競技場でホッケーを観戦すると、スピード感はもちろん、「ゴーン!」とフィールドに響くゴール音も迫力があって興奮しますよ。東京オリンピックを機に多くの方に注目していただいて、今後の日本のホッケーがもっとメジャーになっていくと嬉しいですね。
 


滋賀県出身の選手、左側 吉川貴史さん(GK)、右側 山田翔太さん(DF)と。
山田さん曰く「山堀さんの指導は熱血です。選手より熱いんじゃないかと思います。」


 
※記事の内容は取材時点での情報となります。あらかじめご了承ください。
(2020年2月取材)

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