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琵琶湖発 人間探訪

信楽焼の陶芸家 神山 清子さんを訪ねて

信楽焼の陶芸家 神山 清子さんを訪ねて
神山 清子さん
日本六古窯のひとつに数えられる滋賀県・信楽。
そこに日本の女性陶芸家の草分け的存在として、昔ながらの手法で作陶を行っている神山清子(こうやまきよこ)さんがいます。
なぜ女性陶芸家が珍しかった時代にこの世界へ飛び込んだのか。
そして信楽焼の魅力とは。ご自宅にある寸越穴窯(ずんごえあながま)の前でお話を伺いました。



寸越窯(ずんごえがま)

住所:滋賀県甲賀市信楽町勅旨2202(陶芸の森入口20m右側)
TEL:0748-83-0259 FAX:0748-83-0259
不定休

陶芸の里「信楽」で人に恵まれ、作陶の道へ

陶芸作品

 滋賀県に家族で移ってきたのは、私が8歳の頃。それまでは長崎県佐世保にいましたが、戦時中で白米も食べられない、毎日大根飯ばかりの時代でした。しかし父の仕事の都合で滋賀県の日野へ来ると、おにぎりがあって感動して泣きながら食べたのを今も覚えています。

 その後、11歳で信楽に落ち着くことになりました。ここでは近所のおじさんたちがろくろを回し、窯場で陶器を焼き、町中に陶器があふれていました。私が窯場をじっと見ていると、「女はダメやで」と言われましたね。陶器の表面に釉薬(ゆうやく)をかけるのは女性の仕事でしたが、女性が窯場に入ると「けがれる」と言われ、窯焚きができないしきたりがあったんです。
 

寸越穴窯

 ただ、私は小さい頃から絵を描くのが得意だったので、和洋裁学校を卒業後は周りから勧められて陶器の絵付け助手として働き出しました。その後、陶器会社に入社してからも絵付け職人として働いていましたが、これもまた周りの勧めがあり、少しずつ作陶を始めることに。会社員時代は隠れてこそこそと作陶しては日曜日に窯詰めや窯出しを手伝い、窯焚きをさせてもらっていました。信楽にはまだ女性陶芸家がおらず、私も差別されることがありましたが、一方で私の才能を認め支えてくれる方たちもいたんです。それは本当に人に恵まれていたと思いますね。

できないことに挑戦 長年の努力が実を結ぶ

茶道で使われる水指し
茶道で使われる水指しが縁側にずらりと並んでいました。

 そして20代後半で会社を辞め、自宅を工房にして独立しました。一番初めに作ったのは狸です。誰にも教わらずできるだろうと思ってやってみたら全然できなかったんです。狸の大きなお腹が重たくて、みんな倒れてしまう。そこで狸の型抜きをしていた方たちに教わってようやくできるようになりました。また庭の灯篭や花生けなどの注文をいただく度に新しいことを勉強していきました。海外から美術本を取り寄せ、アートについても勉強しました。当時の信楽焼は火鉢や植木鉢などをつくる職人仕事でしたから、アートの世界からインスピレーションを受けて作品を作ることは珍しかったと思います。
 

信楽自然釉15日間釜焚きをして復活させた信楽自然釉

  転機となったのは、工房近くの古代穴窯から小さな陶器の破片を見つけたこと。それは釉薬をかけない自然釉によってできた古信楽でした。この古信楽の色に魅せられた私は、自宅に半地上の古代穴窯をつくり、信楽自然釉を復活させることにしたんです。当時の信楽焼は4日の窯焚きが普通。でも私は4日では足りないと思っていました。そこで6日、7日と焚く日数を増やしていき、あるとき15日間も焚いてみると、ようやく自分の思い描いていた色を見つけました。ピカーッと光る美しいビードロと温かみのある緋色(ひいろ)。これこそ自分が追い求めていた自然の芸術でした。

人々の心の中に残る信楽焼を創り続けたい

陶芸家 神山清子さん

 緋色とは炎の色です。炎の中にはいろいろな色があり、窯の火の入れ方によって、黒みが出たり、明るいオレンジ色のような色が出たりする。私はこの細かな変化を記録し、40年間蓄積してきました。だから同じ色は出なくても、この作品はこういう色や景色を表現したいと予測すると、近い色が出ます。陶芸は科学なんです。そしてこの色を出せるのは、信楽の土だからこそ。粘土層の中に含まれる養分が、焼き上げると化学反応を起こし、緋色のような土味としてにじみ出てくる。信楽の土じゃないと、この色は出せません。私が信楽で作品づくりを続ける意味がそこにあります。
 

 日本六古窯のひとつである信楽には長い歴史と伝統があります。しかし無尽蔵といわれた信楽の土は少なくなり、窯の燃料となる松の木も日本から姿を消しつつあります。そんな時代だからこそ私は伝統を残し、信楽焼ならではの「土」と「焼き」にこだわって、信楽焼の中に新しい姿を見せたい。滋賀を越え、日本全国そして世界の展覧会へ出展しているのもその想いがあるからです。これからも私は人々の心の中にいつまでも残る信楽自然釉を焚き続けたいと思います。



※記事の内容は取材時点での情報となります。あらかじめご了承ください。
(2019年8月取材)

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