井尻 一茂さん
|
上丹生彫刻・彫刻師 井尻 一茂さんを訪ねて
滋賀県米原市にある上丹生は、
伝統の木彫りの技と紋様を今に伝える職人のまちです。
およそ300年前の江戸時代から木彫り産業が根づいてきたこの地域では、
職人歴20年になる井尻一茂さんもまだ若手の部類。
初代のお祖父様から受け継いだ翠雲彫の技術向上に精進しながら、
現代の人に受け入れられる新しい作品づくりにも果敢に挑戦されています。
井尻彫刻所
|
全国でも有数の木彫りの里
滋賀県では、昔から仏壇づくりを中心とした伝統工芸が盛んです。
仏壇づくりの7つの工程に関わる木地師、空殿師、彫刻師、塗師、蒔絵師、飾金具師、
金箔押師という職人が一つの集落に集まっているのは日本全国でも珍しく、
「工部七職」として知られています。
また上丹生で彫られたものは「上丹生彫刻」と呼ばれ、仏壇の他にも、
山車の彫刻、狸や蛙をかたどった工芸品、茶托や盆などの実用品があります。
他の地方では仏壇なら仏壇、欄間なら欄間と専門的にやっているところが多く、
木で彫れるものは何でも彫るというのは「上丹生彫刻」の特徴です。
祖父が作る躍動感ある翠雲彫に惹かれて
|
▲初代から使っているのみは刃が削られて短くなっています |
そんな上丹生の地に、祖父が井尻彫刻所を開いたのは昭和10年です。
以後70年にわたり、父から私へと受け継がれています。しかし、
私は小さい頃からずっと家業を継ごうと思っていたわけではありませんでした。
高校時代はコンピューターに興味があり、名古屋の電子工学の大学へ進学。
その時に初めて住み慣れた上丹生の土地、祖父や父が毎日木彫りしている工房から離れ、
客観的に家業の良さを発見することができたのだと思います。里帰りの際などに改めて祖父の作品を見ると、
その躍動感や力強さに惹きつけられている自分がいました。
「上丹生彫刻」にはそれぞれ流派があり、井尻家のものは祖父・
井尻翠雲が翠雲彫として確立させた写実的立体感あふれる作品が特徴です。
特に祖父は、龍、馬、武者といった荒々しいタッチのものを彫る達人でした。
こんな素晴らしい伝統工芸は継承していかなければと感じ、大学卒業後すぐに井尻彫刻所へ入ることにしたのです。
彫刻の職人は、のみ研ぎ3年、一人前になるまでに10年かかると言われています。
私も最初はのみ研ぎの技術を習得しながら、祖父や父が粗彫りしたものを仕上げることで、のみの使い方を学びました。
当時、祖父が鳥の羽を彫ると今にも飛び立ちそうに力強いのに、自分が彫ると同じようにならないことに悩んでいました。
しかし経験を積むごとに「彫刻の表側だけでなく、裏側をどう彫るかによって表情が変わる」ということがわかってきました。
伝統技術を駆使しながら、新しい試みにチャレンジ
|
▲現代の生活にとけ込む「新しい祈りのかたち」を提案されています |
現在は仏壇や工芸品の依頼を受けて彫るだけでなく、
「上丹生彫刻」の魅力を伝える活動も精力的に行っています。
というのも、近年、日本の高い木彫り技術が中国などへ流出しており、
国内では衰退の一途を辿っているからです。驚かれると思いますが、
今や国内で販売される仏壇の98%くらいは外国産だと言われています。
上丹生には多い時で40人の彫刻師がいましたが、今では半分の20人。
私のように後を継いでいるのはたった4人しかいません。
そこで「工部七職」と呼ばれる7工程の職人のなかでも比較的若い30〜40代の職人が
「江州彦根七職家」というグループをつくり、彦根市内の各宿泊施設にて「ほんまもん体験教室」や、
観光地での実演販売などを行っています。
また昔ながらの仏壇は現代のライフスタイルにそぐわなくなってきていることもあり、
「新しい祈りのかたち」を創造するグループ「 +(ナナプラス)」を結成。
2011年にはインテックス大阪で開催された「LIVING & DESIGN展」というインテリアデザインの見本市で、
現代の生活にもとけ込む斬新な仏壇のコンセプトを提案しました。
今後は黒壁ガラスや信楽焼といった滋賀の伝統工芸ともコラボレーションすることで、
滋賀の伝統と革新がつまった新しいアイデアを発信していきたいと考えています。
「上丹生彫刻」の未来を築いていく使命感
|
▲名字の背景にはきめ細かな細工をほどこした龍や桜、松などが彫り込まれています |
さらに2012年には、吉本興業が創業100周年記念で新装した
「なんばグランド花月」の玄関に、「上丹生彫刻」で制作した芸人名の看板を掲げました。
吉本興業さんの影響力は大きく、メディアにも取り上げていただいたおかげで、「上丹生彫刻」のことを多くの人に知ってもらうきっかけになりました。
このニュースを知った方から「ぜひ我が家の表札をつくってほしい」という依頼があり、現在は表札づくりにも力を入れています。
今後もこのような裾野を広げる活動を続けていくことで、少しでも「上丹生彫刻」や彦根仏壇を知って興味を持ってくださる人が増えることを願っています。
業界全体が衰退している今だからこそ、他の伝統工芸と組み合わせた作品づくり、デザイナーとのコラボレーションなども積極的に進めながら、
新しい木彫りの可能性を見つけていきたいですね。
(2014年9月取材)