団長 阿部 秀彦さん
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冨田人形共遊団 団長 阿部 秀彦さんを訪ねて
今回は江戸時代から長浜に伝わる冨田人形浄瑠璃の保存・継承に努める冨田人形共遊団団長の阿部秀彦さんにお話を伺いました。
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冨田人形浄瑠璃の歴史
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▲古くから使われているものも含めて全部で120程ある「かしら」 |
長浜市冨田に浄瑠璃の人形が伝わったのは天保6年(1835年)のことでした。
この地に興行に来た阿波の人形芝居の一座が大雪に見舞われ興行が成り立たなかったため、
旅費の代わりとして宿に人形を置いて帰りました。
その後、村の芝居好きの人々が集まり、その人形を使って浄瑠璃の稽古を始めたのが冨田人形浄瑠璃の起源とされています。
以来、冨田の人々はこの人形を受け継ぎ、地元のお寺などで人形浄瑠璃を披露してきました。
冨田人形共遊団の始まり
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▲平成3年に完成した冨田人形会館 |
私の家系は代々冨田人形を受け継ぎ、人形浄瑠璃の演じ手を担ってきました。
私も幼少の頃から浄瑠璃の稽古場によく出入りしており、
稽古に参加するようになってからはすっかり人形浄瑠璃に魅了されました。
人形に触れると、代々これを操っていた人形遣いのことを思い、
「ご先祖に負けないように頑張ろう」と人形に気持ちを込めて稽古に励んだものです。
そんな中、昭和54年に本格的に冨田人形浄瑠璃の運営に携わるようになりました。
旧来、冨田人形の担い手はほとんどが専業農家であり、
皆が休日に集まって練習をしていました。
しかし日本の就労形態が変化し、専業農家が著しく減少した当時は、
互いの休日が合わず練習の機会が減り、その活動は休眠状態にありました。
「このままでは冨田人形浄瑠璃の伝統の灯が消えてしまう」、
私を含めた若者の間でそのような声が上がり、
何とか守っていこうと立ち上げたのが冨田人形共遊団でした。
共遊団の設立後は、国立文楽劇場で江戸の浄瑠璃を習ったり、
各地の人形浄瑠璃の団体とも交流するなどして、
自分たちの冨田人形浄瑠璃の形を作ろうと奮闘してきました。
平成3年には人形浄瑠璃専用の舞台を備える冨田人形会館が完成し、
本格的な公演がスタートしました。
現在の年間公演数はおよそ30公演に上り、多くのお客様にお越しいただいています。
人形浄瑠璃で繋がる、
様々な人との交流
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▲人形浄瑠璃を学びに来た留学生たちが残していったペナント |
これまでに冨田人形共遊団では様々な方の受け入れを行ってきました。
地元の有志を始め、県内外の学生、さらには海外からの留学生も受け入れています。
共遊団が初めて留学生を受け入れたのは平成9年のことでした。
平成8年にアメリカのケンタッキー州で公演をした際、現地で知り合った学生に
「一度、日本に遊びに来てください」と気軽に声を掛けたところ、
なんと翌年に39名が大挙して来日したのです。
しかも冨田で人形浄瑠璃を習いたいと言うので驚きました。
慌ててホームステイ先などを手配し、何とか受け入れることができました。
以後は冨田地域の活性化も願って、毎年のように各国からの留学生を受け入れています。
人形会館では、他にも様々な日本文化に触れてもらおうと、
書道や茶道なども体験できるようにしています。
彼らは日本の伝統文化を吸収しようと、本当に真摯な態度で練習に取り組んでくれます。
これまでおよそ170名の留学生が人形浄瑠璃を学びに来ました。
中には帰国後も連絡をくれる方や、日本へ遊びに来てくれる方もいます。
人形浄瑠璃をしていたからこそ体験できた様々な人との交流は、私の大切な宝物になっています。
また、共遊団は地域の小学生への普及活動にも取り組んでいます。
子供たちには、人形遣いや三味線を練習した後に、実際に演目を披露してもらいます。
その体験が予想していなかった影響を子供たちに与えていると、
学校の先生方が教えてくださいました。
それは、人形浄瑠璃に取り組んだことで、これまでクラスで目立たなかった子が、
何事にも積極的に取り組むようになったというのです。
人形浄瑠璃では三人一組で人形を操るため、自分がいなければ人形は動かないということに直面し、
自身の存在の重要性に気付いてくれたからではないかと思います。
地域の小学生には幼いころから冨田人形に触れてもらうことで、
一人でも多くの生徒が将来、浄瑠璃の担い手になってくれたらと願っています。
新しい分野との交流
共遊団ではこれまでの伝統的な浄瑠璃の枠に捉われず、
新しいことにチャレンジしています。
最近では、一昨年にオペラとのコラボレーションを実現しました。
演目は伝統的に浄瑠璃で演じられるものでしたが、
セリフはオペラ調に書き換え、
楽器も普段は三味線だけのところをオーケストラにお願いしました。
通常は三味線が奏でる音の節に合わせて人形を動かすので、
オーケストラの奏でる勢いのある音楽に合わせるのが大変でした。
他にも詩吟に合わせてみるなど、積極的に異分野とのコラボレーションに取り組んでいます。
このような活動には、新しいものを取り入れることで何かを発見したいという狙いもありますが、
自分たちの人形浄瑠璃を振り返り、その良さを見つめ直す意味もあります。
同じことを同じようにやるだけでは、新しい発見や刺激は得られません。
今後も様々なことに挑戦しながら、冨田人形浄瑠璃の伝統を守り伝えていきたいと思っています。
(2012年3月取材)