三代目 松井 光照さん
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松井造船所 三代目 松井 光照さんを訪ねて
今回は「琵琶湖に丸子船が浮かぶ光景を復活させたい」という夢を持って船大工修行に励む、松井光照さんにお話を伺いました。
松井造船所
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丸子船の歴史
古来より琵琶湖は北陸から京阪神への重要な交通の要衝であり、
物資を輸送する際の商用船として丸子船が重要な役割を果たしました。
丸子船は木造の船で、長さは約17メートル、15トン相当の積荷を運搬できるものでした。
江戸時代から昭和初期には何千もの丸子船が琵琶湖を行き交い、
湖上は活気に満ち溢れていました。
しかし、戦後まもなく鉄道や陸路の発達などにより、琵琶湖の水運の需要が減少し、丸子船は姿を消していきました。
数多くの船大工が軒を連ねた堅田でもその人数は激減し、
今では丸子船の製造技術を継承するのは父と私の二人だけになりました。
丸子船の特徴
丸子船は琵琶湖の特性を研究して造られ、独自の進化を果たしました。
一番の特徴は船体の両側に施された「おも木」で、重い積荷を載せる船体のバランスを整え、
浮力を上げる役目を果たします。船底は遠浅の琵琶湖でも波に乗るよう平らに造られ、
滑らかな形状をしています。
また、もうひとつ特徴的な部分は船体に施された「ダテカスガイ」と言われる銅版です。
これは本来船体の継ぎ目の防水用として使われていたものですが、
丸子船ではそれぞれの船を特徴づけるようにデザイン性を持って施されています。
これにより丸子船の船体には他の商用船にない華やかさがあります。
船乗りと船大工の個性により様々な模様が施され、
丸子船が輸送の主流だった時代の豊かさを象徴しているようです。
現在は琵琶湖博物館に実物大が展示され、その美しい姿を誇っています。
▲船体の両側に施された「おも木」

▲デザイン性を持って施された「ダテカスガイ」
一人前の船大工を目指して
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▲師匠でもある父・三男さんと作業する光照さん |
幼い頃から造船の作業場に出入りしていた私は、祖父と父が勇壮な船を造り上げる姿に魅了され、
それを真似るように作業場の隅でプラモデルを造っていました。
祖父は「丸子船の製造技術を知る最後の船大工」と言われていました。
そんな祖父から琵琶湖に丸子船が行き交っていた頃の話を聞いたり、
丸子船が琵琶湖に浮かぶ浮世絵のような美しい絵を見せられる度に、
丸子船への思いが強くなりました。
大学卒業後、一旦は東京で会社員として勤務しましたが、
「いずれは祖父や父がやってきた船大工の仕事を継ぎたい」という想いを抱いており、
その想いが強くなった2005年に堅田に戻り船大工になることを決意しました。
琵琶湖水運の需要が激減したことから周囲からは反対の声もありましたが、
「琵琶湖に丸子船が浮かぶ光景を復活させる。」という夢を実現させたいという強い想いがあり、
祖父に弟子入りして憧れの船大工としての人生をスタートさせました。
船大工修行を始めてしばらくして、小型の木造船を造る仕事をいただき、
祖父と父の指導のもと一つの作品を造り上げました。
造船の作業工程はまず材料となる木の選定から始まります。
注文に見合った木(槙・杉・檜)を求めて各地の山や製材所を巡って、
納得がいくものを集めます。次に材料を各パーツに切り分けて削り、
組み合わせ、水が侵入する隙間のないように仕上げていきます。祖父から教わった当時は船の設計図がなく、
そんな状況で何百ものパーツからなる木造船を造り上げるのは初心者の私には気の遠くなるような作業でした。
しかし木造船が形になるにつれ、それぞれのパーツがいかに重要で、
日常の修繕や手入れがしやすいよう機能的に造られているかを知ると、
時間を忘れてますます作業に没頭するようになりました。作品を仕上げてほどなく祖父は他界しましたが、
松井造船所の親子三代で造り上げた木造船は、私にとって一番思い出深い作品となりました。
祖父と仕事をしたのは短い期間でしたが、私の中ではかけがえのない経験となりました。
琵琶湖に丸子船が浮かぶ光景を復活させたい
現在、丸子船の需要は全盛期の様な”輸送用“ではなく、
もっぱら”観賞用“としてであり、大きさも模型大のものを年に1〜2艘造るのに留まっています。
仕事のほとんどは鉄船の修繕をしていて、毎日が格闘の連続です。
厳しい現実ですが、少しずつ「丸子船復活」の夢の実現への活動を始めています。
ブログで船大工の仕事をアピールしたり、観光船としての可能性を模索するなど、
丸子船の存在を広く知っていただけるような取り組みです。
またこのような活動を滋賀県の子供たちへの歴史教育にも繋げていけないかと考えています。
一方、50 代〜60代の地元の方の中には幼い頃に琵琶湖に浮かぶ丸子船を見たことがある方もいて、
復活に賛同する声もいただいており、心強く思っています。
今回のように取材に来てくださった方や、一緒に仕事をさせていただいた方からも、
たくさんの応援の声をいただき、それが何より父と私にとって大きな励みになっています。
これからも琵琶湖を愛する多くの皆様に見守っていただけると幸いです。
▲昔から使われている道具
▲今では釘を作る職人もいないため、ご自身で作られています
(2011年11月取材)