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演歌歌手 呉竹 英一さん

演歌歌手 呉竹 英一さん
演歌歌手 呉竹 英一さんを訪ねて
皆さんは今、何か新しいことに挑戦されていますか。新しいことに挑戦する気持ちを持っていても、実際に行動することは難しいものです。
今回は、70歳を目前に今年プロの演歌歌手としてデビューされた大津市の呉竹英一さんにお話を伺いました。

呉竹さんは、なぜ70歳という年齢でプロ歌手としての挑戦を始められたのでしょうか。
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一番お気にいりのライブ写真

私は若い頃より何かと好奇心旺盛で、興味を持ったことは何でもやってみようと取り組んできました。その中でもとりわけ音楽に関することに興味を持つことが多く、大学生の頃にはオペラで『第九』のソリストを務めるなど、オペラ歌手としての人生も考えたほどでした。ところが、喉を痛めてしまったことからその夢を諦め、喉 が良くなった後も年齢的なこともあって歌手の夢を追うことはしませんでした。
しかし、とある方との出会いから諦めた夢を再び追いかけることになりました。その方は医師であり日本音楽療法学会の理事長をされている日野原重明さんです。「人間は病気が無ければ120歳まで生きられる。60歳からは次の人生の準備期間であり、そして75歳から新老人としての新しい人生が始まる。」とお話くださり、お会いしたときに「呉竹さんは新老人に向けて何を始められるのですか。」と問いかけられました。その言葉に感化され、まだまだ残りの人生は長いと考えた私は、かつては諦めてしまったプロの歌手に再挑戦すること を決意しました。

なぜ大学時代に目指したオペラ歌手ではなく、演歌歌手になられたのでしょうか。
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当時からオペラだけでなく演歌も好きで歌っていたのですが、演歌を選んだのには理由があります。それは、芸術としての美しさを求められるオペラよりも、飾ることなく人間の心情を歌い上げる演歌には、人と人との心を繋ぐ不思議な魅力があると感じていたからです。音楽療法の現場でも演歌を歌うことがあり、その際には参加者に大変喜んでいただけました。これなら聴いてくれる人の心に届く、これぞ私の求める音楽の究極形だと思い”心と心を繋ぐ演歌歌手“として活動していくことを決めました。

呉竹さんの人生にはこれまでに様々な挑戦があったとお聞きしています。
どのような”挑戦“をしてこられたのでしょうか。

私はこれまでも「やってみたい」と興味が沸いたものに対しては、まず行動に移すことが大切だと考えてきました。写真に興味を持てば近所の写真家を、ギターに興味を持てば知り合いのギタリストを訪ね、とことん質問をして技術を身に付けてきました。また、滋賀に在日フィンランド人学校を建てる活動に参加し、自らフィンランドに渡り、校舎を建てるための資材や資金の調達活動をしたこともありました。最近ではネパールなどの途上国に教育支援をするNPOにも参加しています。また音楽療法をする中で、自分の演奏する音楽を聴いてくれる患者さんに対して、今度は演奏をする側になって楽しんでほしいと思い、高齢者や障害者の方が使いやすい楽器の設計に関わったこともありました。

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全国で音楽療法の講義をされています。 呉竹さんの出版物
様々な活動を通じて皆さんにどんなことを伝えたいですか。
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とにかく私は、何をするにもその目的を成し遂げるための強い意志を持ち、なおかつ自分自身が楽しんで取り組むよう心がけています。そして、そんな私の姿を見て賛同してくれる人が現れることも、行動を起こす楽しみの一つになっています。最近、将来に希望が持てずに何もしない若い方や、まだまだ元気なのに定年になって手持ち無沙汰に なっている方を見かけることがあります。私はこういった方々に”やりたいことに挑戦する“”行動を起こす“ことの楽しさを伝え、その方々が人生をより楽しむためのきっかけづくりをしていけたらと思っています。
今までも色々なことに挑戦してきましたが、今後も自分の専門分野にとらわれることなく、新しいことにどんどんチャレンジしていくつもりです。そしてその姿を見て賛同してくださった方とは、一緒になってお互いがより一層楽しんでいければと考えています。

(2010年8月取材)
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