私はかつて警察官として交番に勤務していました。交番には落し物として動物が届くことがありました。その際、警察では動物を保護し続けることは少なく、保健所に引き渡すことがほとんどでした。しかし、届けた人は動物を助けたい、助けて欲しいという思いで警察に来ていたのです。 私には尊敬する警察官が身近にいました。その方は誰に対しても常に目線を合わせて親身に接してくれる方でした。その方のようになりたいと考え、私は警察官を目指しました。しかし、警察官になった私は、動物の助けを求める市民の思いに応えられないことが苦痛でした。 私が一人で交番勤務をしていた時、3人の小学生の女の子が傷を負ったキジバトを胸に抱えて交番に助けを求めてきました。私は何とかしようと手を尽くしたのですが、動物保護の知識をほとんど持っておらず、あたふたしているうちに少女たちの前でキジバトを死なせてしまいました。そして、目の前で起きた事態に少女たちは泣いてしまい、私は少女たちを悲しませた自分の無力さを感じ、二度と同じ事をしたくないと思いました。それ以来、休日を利用しては近所の動物園に通い、動物の保護方法を教わるようになりました。 そうして、一通りの動物保護方法を覚えた頃、小学生の男の子が弱ったスズメを交番に持って来ました。動物園での勉強が役に立ち、保護したスズメは元気を取り戻しました。そのスズメが元気よく羽ばたいて大空へ戻っていく姿を見て、男の子は嬉しさの感情を抑えきれず泣いていました。その姿を見てこれこそ警察官の仕事ではないか、相手の目線に立って仕事をすれば信頼してもらえ、感動だって与えることができると感じたのです。
次第に私の行動が警察署内、地域住民の間で噂になり、傷ついた動物や飼い主のいない動物が私のところへと集められるようになりました。私はその動物たちを自宅で保護し、家のほとんどのスペースを動物の飼育場所にしました。家族は台所だけで暮らすようになり、私の給料も全て動物の餌代になりました。妻は私の行動を理解して手伝ってくれましたが、子供たちはそうではありませんでした。子供たちからすれば金銭的に充実した生活も送れず、家には動物の匂いが充満して友達も呼べない、動物が原因で病気を患う事もありました。そんな子供たちの思いには気付いてはいましたが「この動物たちは、自分にしか助けることができない。今は理解できなくともいつかは分かってもらえる」と信じ、動物の保護・飼育を続けました。
現在、保護している動物と子供たちが触れ合うことのできる、「ふれあい動物園」を開園しています。この活動は、ただ動物と触れ合うことだけが目的ではなく、命の大切さに気付いてもらうことを目的としています。そのため、必ず動物と触れ合う前に、命の大切さについての講演を行っています。子供たちだけでなく、保護者の方にも講演を聞いてもらい、命の尊さを訴えかけています。 今の時代、命の大切さや他者への思いやりを知らない方が多いと感じています。命のある動物をおもちゃのように扱う子供。それを横で見ても叱らない大人。そういった光景を見かけることもあります。おもちゃのように扱えば動物は弱り、命を落とすこともあります。それを見た私は、今の日本の子育ては間違っているのではないかと思いました。子供が命を大切にできないのは親がそれを教えられるように育っていないからではないでしょうか。例えば、子供の頃に犬を飼っていたが、その犬が死んでしまった時の悲しみを、自分の子供には味わせたくないという理由で犬を飼わないと言う方がいます。しかし、それは間違っているのではないでしょうか。子供のときから、動物と触れ合い、命の大切さを学ぶべきです。 社会人になった私たちの子供も、今では私の「心を育てる」活動を理解してくれています。地域住民の方たちにも、動物の餌として野菜や果物の残り物をいただいたり、世話を手伝っていただいたりと、動物保護を助けてくれています。みなさんの助けに感謝しつつ、今後も全国各地に赴き、命の尊さと思いやりの大切さを伝えたいと考えています。