彦根りんごとは彦根で栽培されていたワリンゴの一種です。その歴史は明確ではないのですが、我々は1816年に一人の武士が200本の木を植え農園を作ったことを始まりとしました。果実の大きさはゴルフボール程度と西洋りんごに比べて小さく酸味があり、8月中旬に収穫されたことから、当時はお盆のお供えとして欠かせないものでした。昭和初期までは盛んに栽培されていたのですが、昭和5年の道路拡張で農園は無くなり、西洋りんごの登場や虫害なども影響して徐々にその数は減り、昭和中期には絶滅してしまいました。 私が彦根りんごを知ったのは今からおよそ7年前です。当時、私はウィスキー樽のリサイクル製品を開発していました。樽で作ったプランターに、みかん等の木を植えて保育園などへの移動植物園として活用できないかと考えていました。その時、以前から彦根りんごの復活を願っていた知人より、「彦根りんごというものがある。それでやってくれないか?」と半年に渡り説得を受け、彦根りんごに賭けてみることを決意しました。しかし、いざりんごを作ろうとした時、既に彦根りんごは途絶えており、彦根りんごの木は彦根に一本も無いという事実を知ることになりました。
会を設立して今年で6年目になります。設立にあたっては、彦根りんごの復活はもちろんのこと、その先に彦根りんごで彦根市の産業を盛り上げることを念頭に置き、誰でもという訳でなく手に職がある人や地域で活動された方々より有志を募り、30人で発足しました。 設立後半年くらいは、準備期間として日本国内のワリンゴの調査を行うため、特に思いの強い4人を中心に各地へと赴きました。調査を進めるにつれて、彦根市出身の画伯によって描かれた「彦根りんごの図」の存在を知りました。その情報を基に、ワリンゴとして一番近いと思われる石川県の品種を持ち帰り、接木で増やしていきました。 そして、接木より3年後、見事に彦根りんごの木に花が咲き実がつきました。この時点で彦根りんごは絶滅していましたので、この見つけたりんごを『平成の彦根りんご』と命名しました。
8月中旬には、芹川りんご公園で栽培している彦根りんごを子供達に収穫してもらっています。子供達には、大人になってから「子供の頃、あのりんごを取ったな」と思い出してもらえればいいと思います。「りんごを栽培するのに苦労したことは?」とよく聞かれるのですが、苦労だと思ったことは全くありません。口では「困った」と漏らすこともありますが、実際は、「何とかなる」「何とかしよう」と解決していくことを楽しんでいます。本当に苦労だと感じていただけでは、現在まで続けて来れなかったでしょう。また、苦労を苦労と思わないのは、彦根りんごを通じて出会った人達が、皆良い人だったということも大きいのではないでしょうか。 「尾本さんにとって、彦根りんごとはどんな存在ですか?」と聞かれたら、“良い人に出会わせてくれた存在”だと答えます。 現在は彦根りんごの栽培で評価をいただいていますが、自分ではまだまだ成功したとは思っていません。設立当初から2016年には『幻の彦根りんご復活200年祭』のイベントを開催したいと考えています。そこに至るまでの12年間を3年ごとに区切り、目標を設定しています。そして、その都度、万が一目標が達成できなかった場合は解散するつもりで取り組んできました。りんごが1年に1回しか収穫できないことからも、毎年が勝負の年となります。2016年まであと7年、ワリンゴの仲間を増やした上でイベントの開催を目指し、今後も活動を続けていきます。