日下部鳴鶴は、彦根藩出身の書道家で、中林梧竹(なかばやしごちく)、巌谷一六(いわやいちろく)と共に明治の三筆と呼ばれる近代書道の確立者の一人と言われています。特に鳴鶴は廻腕法(かいわんほう)の伝達者としても有名で、明治時代に日本の書道の基礎を作り上げた人物とされています。また、芸術家としても教育者としても多大な功績をあげたことを称えて「日本近代書道の父」と評されることもあります。日下部鳴鶴顕彰会は、この日下部鳴鶴の作り上げた書道の基本と理念を研究し、多くの人たちに伝えるためのものです。
私は昭和14年に、福井県で7人兄弟の末っ子として生まれました。私が生まれた時から兄達は書道を始めていました。そのため、幼い頃から兄達のする墨の匂いを神秘的に感じ、書道への憧れを抱いていました。私は小学校5年生から書道を始め、当時から大人用の教材を使用していました。幼い頃から常にすばらしい文学と文字を見本にしていたことから、高校時代からさらに書道への興味は深まり「書道を本格的に学びたい」と思うようになりました。日下部鳴鶴の書に出会ったのは、高校時代の時でした。当時、優れた教授が多くいた新潟大学を目指し、日下部鳴鶴の「三體千字文」(さんたいせんじもん)を参考に独学で勉強したのがきっかけでした。そして、大学で初めて受けた授業が驚くことに、日下部鳴鶴の「三體千字文」と廻腕法でした。大学では、さらに鳴鶴の技法や理念を学び、日本文化の素晴らしさや書道の深さに気付くことができました。その後、滋賀県の高校教員として、書道を続けながら様々な学校で教育の現場に立っていました。
60歳の時に書道への恩返しの意味も込めて、以前から誘いのあった日下部鳴鶴顕彰会の会長をお受けしました。しかし、当時は主だった活動もなかったことから、まずは教師時代の教え子と共に日下部鳴鶴の理念を研究することから始めました。活動は月に1回、顕彰会のメンバーで日下部鳴鶴の理念に基づいて指導方法を考え、地域の子供や大人の会員の方々に課題を提供しています。課題はそれぞれの年令に合わせており、小学生低学年には、課題となっている文字の由来を教えるなど、日本の文化を学べるような内容にしています。また、年に2回硬筆と毛筆の展覧会を開催し、優れた書を書いた人には賞状と賞品を進呈しています。 日下部鳴鶴顕彰会では、書道を通じて挨拶等の礼儀作法や言葉遣い、そして何事においても基礎基本をおろそかにするとそれ以上の成長はないとする鳴鶴の理念を伝えています。基礎基本は自らの成長と共に深まる・広まるため、死ぬまで大切にしなければなりません。私も「書は人生と共にある」という言葉をこの歳になって初めて理解することができました。
日下部鳴鶴顕彰会も私が会長になってから7年が経過しました。現在では幼稚園児からお年寄りに至るまでの幅広い世代の会員が書道を通して、日下部鳴鶴の理念を学んでいます。今後も日下部鳴鶴顕彰会では、鳴鶴の理念を広めると共に日本の手書き文字の美しさを伝えていきたいと考えています。しかし、現状のボランティアというやり方ではこれ以上組織を大きくすることが難しく、また、大きくすることにより鳴鶴の理念が薄れていくのではないかという不安もあります。今後はボランティアだけでなく行政や財界、そして我々のような専門家が連携し、このような活動を広げていかなければならないと考えています。将来はここ彦根から、書道や美術の展覧会を通じて日本文化の素晴らしさを発信していきたいと思います。大切なものがないがしろにされている現在の世の中で、私達は書道だけにとどまらず優れた鳴鶴の理念と日本文化のすばらしさを広め、地域に貢献していきたいと考えています。