「でこ」という言葉は「土人形」のことを指します。江戸時代から明治時代にかけて、土人形のことを「でこ」と呼び、五個荘小幡町で作られる「でこ」のことを「小幡でこ」と呼ぶようになりました。最近では「でこ」という言葉の代わりに「人形」という言葉を使い、多くの皆さんになじんでもらえるよう「小幡人形」とも呼ぶようになりました。 現在、「小幡でこ」を製作しているのは九代目である私のみです。そもそも「小幡でこ」は、今から約300年前に私の祖先にあたる細居安兵衛が作り始めたものです。初代当主の安兵衛は、はじめ京都通いの飛脚をしていました。しかし、その道中で追い剥ぎや恐かつ等に度々会い、その弁償等がとても大きく、転業を考えるようになりました。家にいながらにしてできる仕事を考えている時、当時盛んに売られていた伏見人形に着目するようになりました。家が中山道に面していたこともあり、中山道を往き来する人々に向けて土産や玩具として販売することを目的に、伏見人形の製法を身に付け、五個荘小幡町で製作する「小幡でこ」を考案しました。これが由来となります。
「小幡でこ」は約400種類あり、3月、5月の節句人形を主体に祭りのみこしや縁起もの、風俗人形や軍人などがあります。種類は数多くありますが、彩色については全て共通の特徴があります。「小幡でこ」に使用する色は全て原色で、見た目は色鮮やかで印象深いものとなっています。また、表情については大変可愛らしい表情をしており、土のぬくもりとともに、やさしさが溢れる郷土玩具として全国で親しまれるようになりました。彩色については、原色を使用し続けるという伝統を守りながらも、その表情は時代によって変化させてきました。伝統文化でありながらも、受け継ぐ部分と変化させる部分の両面を持っていることも「小幡でこ」の特徴の一つかもしれません。 「小幡でこ」を作る工程は、まず粘土を練り、その粘土を代々伝わる人形の型にはめ、乾燥させます。その後、型から乾燥した粘土を抜き、合わせて釜で焼きます。焼いた人形に彩色し、大きい作品については九代目の刻印を刻みます。これらの工程は大きさにもよりますが約3ヶ月はかかります。一度に大量生産することなく、一つひとつ丁寧に作り上げることが、多くの方から愛着を持っていただいていることに繋がっていると信じています。
私は、もともと会社勤めをしていましたが平成元年に先代が亡くなり、本格的に一人 で「小幡でこ」を作り始めるようになりました。先代の生前は、手伝いたい思いも少しあったのですが、昔の職人というのは自分以外の人にあまり頼ることがなかったので、手伝おうとしても手を出すなと怒られるほどでした。ですから懇切丁寧に製作方法について先代から指導を受けたことは、それほどありませんでした。しかし、小さい頃から先代が製作している姿を見ているうちにいつの間にか製作できるようになっていました。幼い頃から「小幡でこ」は私の生活の中に自然と溶け込んでいたように思います。 「小幡でこ」の当主は代々、細居家の長男が継承することとなっています。私は細居家の長男として生まれたことから、九代目となる私で代々の伝統を絶やすことは絶対に避けたいという強い想いが襲名の際にありました。
昔は子供のおもちゃとしても重宝されていた「小幡でこ」でしたが、戦後、大量生産可能で安価なセルロイドの人形が普及しだすと、それらは爆発的に拡がり、「小幡でこ」のような伝統的な人形はみるみる衰退していきました。これは時代の流れなのかもしれませんが、その中であっても親から子へ、子から孫へと伝えていくべき大切なものがあると考えています。私は、五個荘小幡町の伝統文化を守り抜くことに携わる一方で、最近は、そのようなものが少なくなってきていると思います。だからこそ、五個荘小幡町の地に受け継がれた、この文化や歴史を今後も絶やすことなく守っていきたいと考えています。「小幡でこ」は滋賀県だけでなく滋賀県以外からも多くの製作依頼を受けています。出来ることならば今後は滋賀県内の方に、もっと「小幡でこ」を知っていただきたいと考えています。さらには、「小幡でこ」に限らず伝統的なものの持つ素晴らしさに触れ、それぞれの文化や歴史の大切さを感じてもらいたいと思います。