私は祖父の代から続く柿木花火店の3代目として、この地に生まれました。幼少の頃から父の打ち上げる花火を誰よりも近くで見てきました。当時から花火への興味を持っており、25歳の夏に花火職人になろうと決意しました。
花火づくりの技術習得のために、静岡の大手花火工場で5年間修業をしました。修業では、花火の製造方法から火薬管理や打ち上げ方など様々な技術を学びました。その後、修業の一貫として、火薬管理の指導を目的に中国に行きました。
中国では、様々な人や文化、そして技術に出会い、日本と中国の民族性の違いや花火の構造の違いなどを知ることができました。
現在は、滋賀県の長浜市で先代の柿木花火店を継ぐとともに、県内唯一の花火メーカーの職人として新しい花火の製造・開発を行っています。
打ち上げ花火は、「玉皮」と呼ばれる紙製の球体の中に「星」と呼ばれる火薬の粒を並べた構造をしています。そして、この「星」の並べ方や火薬の種類によって、花火の色や動き、光るタイミングなどを調整しています。火薬の種類は無数にあり、火薬の配列や種類を若干でも変えることにより、それぞれ印象の違う花火が出来上がります。
そして、花火は国によって評価基準が異なります。日本では打ち上げた花火の動きや色の変化などに工夫のあるものが評価され、海外では花火の色や大きさなどダイナミックさが評価されています。日本の花火は「一瞬に広がる物語」のような動きや変化があり、花火づくりにおいては動きや変化を起こす工夫が綿密に仕込まれています。私は「一瞬に広がる物語」こそが花火の最大の魅力だと思います。そして、観衆の歓声を耳にしたときには大きな喜びと感動が込み上げてきます。
打ち上げた後の花火の色や形状は、観賞する全ての人にできるだけ同じように伝わるものでなければなりません。かつて、私が「トンボ」の形だと思ってつくった花火を見て、周りの人から「ほうき」に見えると言われた事がありました。そこで、自分の感性だけで花火づくりをしていては、皆が喜ぶ花火はできないと思い、地元の方々に試験花火を評価してもらうことにしました。
まず、地元の方々に花火の打ち上げ日を告知し、約50〜80種類の花火の種名を書いた試験玉評価表を配ります。そして、花火を打ち上げた後、事前に地元の方々に配っていた試験玉評価表に○か×の判定とコメントを書いてもらいます。回収した評価表には、地元の方々の率直な意見がたくさん書かれており、その評価やコメントが新たな作品を生み出すための重要な情報となっています。また、地元の方々の感想が、私の気持ちをリフレッシュさせ、花火をつくる原動力になっています。地元の方々のご協力とご理解があってこそ、私は花火の開発ができるのだと実感しています。
私は、環境保全などの活動を活発に行っている滋賀県から環境に配慮した花火を全国に拡げたいと思い、一心で開発に励みました。環境を考える上で、特に注目したのが花火を打ち上げた後に残る燃えカスやゴミでした。花火の原料には紙など様々なものが使われています。これらの原料は花火が燃焼する際に一緒に燃えるのですが、一部が燃え尽きず燃えカスとして地上に降ってきます。私はこの燃えカスやゴミの減量化を目指しました。
そして、私は生分解性のプラスティックを使用するなど原料を見直すことで、ゴミの排出量を通常の15分の1程度まで減量することに成功し、独自の花火「エコ花火」を完成することができました。この花火の開発は、大きな設備投資をせずにアイデアだけで完成させており、私の大きな自信となっています。
花火は今後も多くの人々に喜びや感動を与えられるものだと願っています。多くの方に喜んでいただくためには、打ち上げに関する様々な演出も必要ですが、何よりも花火自体がすばらしいと感じていただけるものでなければなりません。そして、演出においても花火の特性や構造を知らなければ、安全な打ち上げはできません。開発や製造を続けるには、コストや安全性において非常にリスクが多く、厳しい面がたくさんあります。しかし、多くの方々に花火を楽しんでいただくためにも、今後も努力を続けていきたいと思います。
これからも新作花火やエコ花火の開発を更に進め、観衆一人ひとりに満面の笑みで楽しんでいただける花火を作っていきたいと考えています。そして、たくさんの花火大会や花火コンテストに参加し、花火の魅力をより多くの人に知ってもらいたいです。