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あめ細工職人 中村 又男さんを訪ねて
鮮やかな手つきで、あっと言う間に出来上がるあめ細工。「あめ細工が、子供たちの笑顔の元になるのが一番」とおっしゃるのは、十年前にあめ細工の世界に入った中村又男さん(67才)
中村 又男(なかむら またお)
■住所 守山市守山1-5-10-109 守山銀座商店街
■電話 077-582-3154

あめ細工を始められた経緯について先ずはお聞かせ下さい。
十五の時から菓子屋の丁稚として働き、飴や饅頭を作り、後に小さなお菓子屋さんを営んでいたのですが、周りにスーパーなどが建ち並ぶようになり、お菓子屋がはやらなくなりました。でも子供たちにお菓子を通して何かしてあげられないかなと思いながら、飴を作り続けていたところ、「こんな飴なんていらない」と言われてしまいました。

そこで、このままではだめだと思い、よそがやっていないようなものを作ろうと思い立ち、あめ細工を始めたのです。それが十年ほど前のことでした。最初やってきたのは、2、3人の小学生だけだったのですが、日が増すにつれて、仲間を呼んできたのか、たくさんの子供達が集まってきました。しまいには学区外へと話題が膨らみ、大勢の子供たちが集まるようになりました。

私がただ与えるだけではきっとおもしろくないだろうと思ったので、色を付けてみるかと言って付けさせたことが、興味を持たせたようです。色を付けて楽しむ子供達を見て、私までも嬉しくなりました。
今はどんな活動をされていますか。
このあめ細工をもっと知ってもらおうと、ある時、県の商工会の方にあめ細工を持ちかけました。こんな事をやっていてこれを広めていきたいので、人が一番集まるところはどこかと聞きに行きました。ちょうどその頃、長浜に楽市ができた時で、名刺代わりに少しのあめ細工を持ち込んで披露したら、好評だったのか、明日から来て下さいということになり、それから毎日楽市であめ細工を披露していました。

そしてそこでの数々の人達との出会いがきっかけとなり、「うちにも来てくれないか」という声が掛かり、三重や和歌山・名古屋にも出掛けて行きました。百貨店やスーパー・商店街に出掛け、そんな中で学校関係者と出会うことになり、それを機に学校・幼稚園・保育所にも出掛けるようになりました。学校等では主に高学年のお別れ会での出番が多く色々な場所に出掛けています。学校や幼稚園でも、自分たちで形から考えさせて色を付けさせてあげるとすごく喜んでくれます。
あめ細工に触れる子供たちをご覧になり、どんなことを感じられますか。
子供たちには見本と、自作用の飴を渡すのですが、自分で作ったものは上手くできずに食べてしまい、見本を大事に持って帰り、親にあたかも自分で作ったかのように見せてるんですね。ちゃっかりしています。あめ細工は誰でも簡単にできることだし、自分で考えて作り上げていくことで色々な想像力が生まれてくると思います。完成した物を与えるのもいいのですが、最初から作り上げていくことで楽しんでもらえると、私も嬉しいのですが。

それにしても最近はあめ細工をする人がほとんどいなくなってしまいました。昔は祭りや正月によく見かけたものですが、この文化が残っていくかどうか少々心配にもなります。
これまでに苦労されたことはどんなことでしょうか。
このあめ細工をやっていくにあたり、最初は機械で作れないかと思い、いろいろ試しました。しかし機械では細かい作業が出来ず、結局手作業になってしまい、数多く作れないことが分かりました。

特に苦労したことは、あめ細工を作っていく工程の中で、飴を膨らますことがあるのですが、その方法がなかなか見つからなかったことです。膨らますことぐらい簡単だろうと思い、最初はビーチボールやボートを膨らます空気入れで試してみたのですが、これが全くうまくいかず、まずその道具探しから始めなければなりませんでした。数多くの物を試しましたが、すべてうまくいかずに少し考え込む時期もありました。ようやく「これだ」という物を探し当てたのが、ある時お医者さんの世話になることになり病院通いを始め、血圧を測る器具を見たときです。その器具は空気の入れ具合が自分の思い通りに調節できて最適でした。その器具を購入するのにお医者さんに頼み込んで、どうにか手に入れ、空気を入れたり抜いたりするポンプを改良しつつ試していき、やっとの思いで飴を自由に膨らませることに成功したのです。この間実に約2年間の月日を費やしました。

最近苦労しているのは動物を形作っていくことです。特にトンボと守山で有名な蛍は今でも上手く作ることが出来ません。トンボは体の部分が細長いためにどうしても途中で折れてしまうし、蛍は何回作ってもゴキブリになってしまい、なかなか出来なくて今でも四苦八苦しています。ホタルの場合は背中に「ほたる」って書いてやるんですよ(笑)。
これからの夢をお聞かせ下さい。
従来の平べったい飴は、絵や色が付いているだけでしたが、最近私は単に絵柄を描くのではなく、絵柄が浮き出るような作り方を修得し、凹凸のある飴を完成させました。今考えているのは、その絵柄のある飴をなめてもなめても絵柄や字が消えずに残る飴を作ることです。しかしそれには何層も同じ絵柄の飴を重ねるか、飴に染み込んでいく着色料を開発するしかありません。それは到底難しく、夢の夢であります。
今後は、世の中の人にあめ細工の良さ、懐かしさを感じてもらい、見た目でなく作り上げて完成した時の喜びも知ってもらいたいと思っています。
(2001年11月取材)
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