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琵琶湖発人間探訪

中田 洋子さん
中田 洋子さん
「BIWAKOビエンナーレ」
総合ディレクター 中田 洋子さんを訪ねて

今回は”伝統”と”アート”をテーマとした国際芸術祭 「BIWAKOビエンナーレ」の総合ディレクターとして活躍されている、 NPO法人エナジーフィールドの中田洋子さんにお話を伺いました。

BIWAKOビエンナーレとは
 ”アートによるまちづくり”をテーマにさまざまな活動をする 「NPO法人エナジーフィールド」主催による国際芸術祭。 第5回となる昨年は、2012年9月15日(土)から11月4日(日) に近江八幡旧市街と東近江市五個荘を会場として開催された。
今回は「FAILY TALE(御伽草子)」をテーマに、 江戸期の商家を舞台に国内外から約70名のアーティストが作品を繰り広げた。

BIWAKOビエンナーレを始めようと考えたきっかけ
活動の拠点となった「天籟宮」は八幡掘りに面しています
▲活動の拠点となった「天籟宮」は八幡掘りに面しています

 私は物心がついた時から、将来は海外に住もうと決めていました。 大学では美術を専攻し、卒業後の1980年から83年にはニューヨークに留学しました。一時帰国の後、85年から95年はマニラに居住し、その後、 フランスに住まいを移して現在に至ります。海外に住んでみて、その町の人々が、 自分の住んでいる町に誇りを持っていることに感動しました。 自分はいずれ年老いて死んでいくが、町並みは後世に残したいという意識が高いのです。
 そのような風土に触れる中で、私は日本の町並みの変化に疑問を感じるようになっていました。私が育った60年から70年代の日本は、まだ町家が並び、商店街には活気があり、町としてのアイデンティティ( 独自性・主体性)があったように思います。しかし、 経済の発展と共に、その素晴らしい町並みがどんどん壊されるようになりました。 そんな状況を目の当たりにし、「故郷である滋賀県で、私にできることはないか」 と考えたのがビエンナーレを開催するきっかけでした。

ビエンナーレの開催
「天籟宮」の入口
▲「天籟宮」の入口

 ビエンナーレを開催しようと考えたのは、滋賀県を舞台に、 皆が感動できる美しいアートを多くの人と共有したいという思いからです。 ビエンナーレ(biennale)とは、イタリア語で「2年に一度」「2年周期」 という意味で、2年に一度開かれる美術展覧会を表します。 日本でも近年各地でビエンナーレが行われており、その内容は美術展覧会だけでなく、 芸術祭、文化祭として位置づけられています。 中には現代アートを通じて町の活性化を試みるものもあります。
 BIWAKOビエンナーレは2年に一度の開催ではありませんが、 定期的に開催されることから「ビエンナーレ」と名づけました。 また「BIWAKO」とつけたのは、 ゆくゆくは滋賀の様々な場所で開催できたらと考えたからです。
 初めての開催は2001年で、びわ湖ホールのロビーを借りて、 ヨーロッパで出会った現代アート作品を紹介しました。これは、 劇場などのロビーをファッションショーや展覧会として利用する、 パリでの展示にヒントを得たものでした。
 その翌年、近江商人発祥の町として栄えた町並みが残る近江八幡を訪れる機会がありました。その懐かしい町並みを見て、子供の頃の故郷、大津の記憶が甦りました。 この町並みの素晴らしさを多くの人に知ってもらいたいという思いと共に、 次にBIWAKOビエンナーレを開催するならこの町だと決めました。

近江八幡でのビエンナーレがスタート
中田 洋子さん

 2004年からは近江八幡で、 古い町家を現代アートと融合させたビエンナーレを開催するようになりました。 今でこそ「ぜひ、うちの空き家も使って欲しい」とオファーをいただきますが、 当時は空き家を利用させていただくことに苦労しました。 空き家なのでどなたの所有のものかわからないのです。 まずは所有者を探すところから始めました。
 また、空き家となった町家はどこもひどく荒れた状態でした。 中には江戸期の建物も多くあります。スタッフや地域の皆さんと協力し、家屋を清掃、 修繕してアートを鑑賞できる空間をつくることからのスタートでした。 始めはそのような状態でしたが、 回を重ねるうちにBIWAKOビエンナーレは徐々に国際芸術祭として浸透し、 今年で5回目を迎えることができました。



BIWAKOビエンナーレを開催して
中田 洋子さん

 近江八幡で定期的にビエンナーレを開催することで、 次第に町に活気がついてきたと思います。 観光客はそう何度も足を運んではくれませんが、 ビエンナーレでは展示する作品が毎回変わるため、 興味をお持ちの方は何度も訪れてくれます。
 BIWAKOビエンナーレで古き良き町並みの素晴らしさを知ってもらうことで、 ご来場の皆さんや地域の方に「町家を残さなくてはならない」 という関心を持ってもらえるようになってきたと感じます。 最近では、他府県の方が近江八幡の町家でお店やアトリエを始められるようになり、 とても嬉しく感じています。



今後について
中田 洋子さん

 これまで回数を重ねて来られたのは、 様々な人がこのビエンナーレに関わってくれたからだと感謝しています。毎回、 数々の素晴らしい作品に感動しますが、それ以上に、 一生懸命に取り組むアーティストやスタッフに感動します。 今後も私を支えてくれる人がいる限り、 ビエンナーレの開催を続けていきたいと思っています。
 また、私は現在パリ近郊のサンジェルマンアンレイに住み、 パリで展覧会の企画などを行っています。主に現代アートを中心にしていますが、 今後は日本の伝統文化の紹介なども行いたいと考えています。
 皆さんもぜひ、日本や地域の文化に誇りを持ち、 その文化を受け継いでいく気持ちを大切にして欲しいと思います。

(2012年12月取材)
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